金印公園目次
金印公園について
金印公園とは、福岡県志賀島の南に位置する博多湾に面した公園です。
弥生時代に後漢の光武帝が奴国の王に贈ったといわれ、国宝にも指定された「漢委奴国王」の文字が刻印された金印が発見された場所として、現在の公園となっています。
2018年の春にリニューアルされ、スロープ園路により車いすでも通行できるように整備されています。
金印公園のある志賀島(しかのしま)は、博多湾越しに福岡の市街地を望むことができる観光スポットです。
福岡でも有名な海の中道の先に位置し、砂州(さす:砂や小石が堆積してできた細長い地形)で九州本島と陸続きとなっている島です。
志賀島は、巨大な砂州・海の中道で九州本土と陸続きになった、全国的にも珍しい陸繋島(りくけいとう)です。潮が満ちると通行できなくなることがあったため、現在は志賀島橋によって結ばれています。現在の橋は、平成17年の福岡西方沖地震で使用できなくなってしまったため、平成23年に架け替えられています。この志賀島橋により、車でも気軽に行くことができるように整備されています。
この志賀島は、周囲約12km、面積約5.8k㎡(東京ドーム124個分)、で人口2000人余りの島ですが、夏には海水浴や、釣りなどのレジャーで賑わい、時計回りに一方通行になるという島です。もともとこの志賀島は、「万葉集」などの詩に詠まれたり、蒙古襲来の元寇や、 「古事記」・「日本書紀」に登場する海の守り神、「綿津見(わたつみ)の神の伝説」などで、その名が知られていました。
しかしながら、何といっても多くの方が、志賀島の名前を知っているのは、日本史の教科書や参考書において、この有名な国宝の「金印」が発見された島ということからではないでしょうか。志賀島を一躍有名にしたこの金印が発見されたのは、江戸時代の1784年に農作業中に偶然発見されたと言われています。
田んぼを耕している時に、2人がかりでかつぐような大きな石があり、その石の下からこの金印が出土したと、当時の記録には記されています。
志賀島の古刹に残る記録や、当時の史料である「志賀島小幅」などには、秀治と喜平という名が登場しており、現在では、この2人が真の発見者ではないかとされています。その後、筑前藩主である黒田家に代々伝わり、1978年に福岡市に寄贈されました。現在は、福岡市博物館にて保管、展示されています。金印公園には、レプリカが展示されており、高台になっているスロープを登った頂上にモニュメントと共に設置されています。
金印は、正方形で一辺が2.3cm、厚さ0.8cm、重さ108.7gのこの金印は、つまむ部分が蛇をかたどったものとなっており、「漢委奴国王」の文字が、3行に分かれて刻まれています。金印は、中国の後漢書に西暦57年に漢の皇帝「光武帝」が奴国(なこく)の 使者に金印を渡したことが記されており、その金印だと言われています。
中国の記録に、日本(倭国)のことが記載されて残っているものは、後漢書の記述が最古といわれて言います。その記述にある金印が発見されたということで、中国の歴史の上でも重要な品と考えることができます。この金印の読み方には諸説あるのですが、漢倭奴国王(かんのわのなのこくおう)と読むのが定説になっており、みなさんも社会の教科書で習ったのではないでしょうか。
これは明治31年(1898年)に三宅米吉の論文で漢委奴國王(かんのわのなのこくおう)と読まれて以来これが定説になったと言われています。しかし、文化庁による『新設新増補改訂版 国宝事典』では、「考古金印」の項で「その訓みについてはなお定説をみない」とされているそうです。日本には他にも卑弥呼の時代に、魏の国より「親魏倭王」の金印を授かったとの記録がありますが、この金印は発見されていません。
卑弥呼が授かったといわれる金印は、西暦238年頃と言われており、志賀島で発見されたこの金印は、卑弥呼の金印よりも約200年も古いものと考えられています。そんな金印が発見された田んぼが、どの辺であったのか?・・・というのが研究されだしたのは、大正時代に入ってからで、多くの文献や言い伝えなどにより、ひとりの考古学者中山平次郎氏が、ひとつの場所を推定しました。
それが、1922年に建てられた金印公園入口に建つ、「漢委奴国王金印発光之処」の石碑から博多湾より右前方とされています。
金印をめぐっては今でも謎が多く残っており、昭和48年(1973)、平成元年(1989)、5年(1993)に公園周辺の発掘調査が行われましたが遺構は発見されなかったと言われています。公園の高台からは、夜になると博多湾を通して福岡の夜景が見られることで、夜に訪れる方も少なくない金印公園です。見晴らしがよく、福岡ドームや福岡タワーなどもはっきりとみることができます。自然に囲まれた志賀島で、心地よい海風に浸りながら古代ロマンを感じることができます。
金印公園からの博多湾の夜景を眺めに、教科書にも出てくるこの歴史的な地を訪れてみてはいかがでしょうか。
金印公園見どころ
そんな金印が見つかったとされる場所である金印公園は、志賀島の周回道路から、階段を上ったところにあります。
公園の入口には、大正11年(1922年)に建立された「漢委奴国王金印発光之処」の石碑が建てられており、階段を上っていくと、金印をかたどった金印の碑があり、この場所が金印発見の地であることが明記されています。
公園内には他にも、方位広場があり、志賀島を中心とした古代の地図があり、当時の日本をとりまく国々が示されています。福岡の地と関係の深かった中国の古代史家で文学者でもあった郭沫若(かく まつじゃく)の詩碑などがあります。
金印のモニュメントが置かれた高台の正面には、博多湾に浮かぶ能古島の也良岬を対岸に望むことができます。
能古島へは市営の渡船により、わずか10分で島に渡れるため、身近な行楽地として福岡市民に人気です。
金印自体は、上記のように福岡市博物館にありますので、この金印公園内には、金印が発見された場所ということ以外、特に目新しいものはありません。そういう意味では、ここを訪れるということは、ある意味歴史上に輝く重要発見であった、金印発見の地に立つということだけかもしれません。
しかしながら、高台から望む博多湾の眺めの先に、古代ロマンを感じることができるでしょう。
この地で発見された金印が中国の後漢より贈られたとされる西暦57年は、日本史の教科書でも具体的な年号が登場する最初の出来事として強く印象に残っているのではないでしょうか。日本史の年表を開く時、57年の記述は、今でもどこか日本の夜明けを感じさせる出来事です。そんな意味でも、この金印公園を訪れるということは、言葉にできないものを感じさせます。
知識としてではなく、一度は訪ねてみたくなる地であると言えるのではないでしょうか。
福岡市は自転車に乗って志賀島を楽しんでもらおうと「サイクルツーリズム」を推進しています。
海の中道から志賀島へと続く直線道路は、市街地を眺めながら走れる人気のサイクリングコースです。
志賀島1周は約10キロで、道路の起伏も少なく、およそ1時間で周回できます。
海の中道海浜公園・光と風の広場入り口に新しくオープンした、公園一体型宿泊施設「インザパーク福岡」にある「ひかりかぜサイクルステーション」や、雁の巣レクリエーションセンター、海の中道桟橋待合所、志賀海神社参道入り口のサイクルステーションで、レンタサイクルのサービスを利用できます。
レンタサイクルで島を一周して、金印公園や、志賀海神社への参拝など、志賀島をまるごと楽しむのもおすすめです。
金印公園付近
金印公園へ行く場合には、途中に海の中道へ寄るのがおすすめです。
海の中道は、九州の本土と志賀島をつなぐ陸繋砂州です。
南に博多湾、北に玄界灘を望む県道59号沿いが、海の中道と呼ばれています。
海の中道には、国営公園である海の中道海浜公園、マリンワールド海の中道があり、福岡の近郊で海と自然を楽しめる観光スポットになっています。
海の中道は、博多の北西に位置しており、博多湾を挟んで福岡の街並みを一望できます。
福岡タワーやPayPayドーム、シーホークホテルなど福岡の絶景施設を見渡すことができます。
公園内には、大芝生広場のシンボル「スカイドルフィン」と呼ばれる遊具施設や、癒し系の動物たちとふれあえる動物の森があり、小さなお子さんから大人まで楽しめる公園となっています。
マリンワールド海の中道は2017年にリニューアルされ、九州の淡水生物を広く展示したりなど、九州ならではの水辺の自然を見ることができます。
外の大プールでは、イルカ・アシカショーが開催され1日中楽しめる水族館となっています。
また、金印公園のある志賀島は一周12kmになり、海沿いを走れるようになっています。
レンタサイクルで志賀島を周遊しても1時間ほどで可能です。
自転車でゆっくり回りながら、地元の漁師飯を楽しむのもおすすめです。
アクセス
金印公園へは、車で行くのが便利です。
金印公園のある志賀島は陸続きになっていて、車で渡ることが可能です。
博多の中心街からはおよそ30分ちょっとで着くことができます。
博多からは、アイランドシティを通り、海の中道大橋を渡ります。
海の中道と呼ばれる県道59号の途中には、海の中道海浜公園もあり途中の寄り道スポットとして最適です。
海沿いを通ると、途中、海の中道海岸を通ります。
ここは、県道の両サイドに砂浜が広がり、海の中を車でドライブする感覚が味わえます。
海の中道海岸を渡ると、志賀島です。
志賀島へ渡り南側の海沿いを進むと5分ほどで金印公園へ到着します。
博多からは、福岡市営の水上バス(福岡市営渡船)が出ており、船で向かうことができます。
ベイサイドプレイス博多から、海の中道公園を経由し、志賀島の入り口に船着き場があります。
船で向かう場合には、博多からは1時間ほどで志賀島に到着します。
志賀島旅客待合所には、「漢委奴国王」の大きなレプリカがあります。
ここから金印公園へは歩いて20分です。レンタサイクルを借りて志賀島をサイクリングで1周するのもおすすめです。
そのほかには、博多駅からバスで志賀島まで行くことも可能です。